年中旅行、時々プチ移住

私の渡り鳥生活

ペナン島に住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。
ペナン島での生活の時々に、昔の思い出が甦ります。今は、ペナン島を離れて「年中旅行、時々プチ移住」という
渡り鳥生活、プチ移住についての情報を発信しています。 キャリーケース1個、ナップザック1個の旅装です。

ロンドンの思い出:ミュージカルMiss Saigon 1989

Youtubeは第45回トニー賞1991年受賞の様子。↓

1991 Tony Awards Miss Saigon segment
トニー賞はアメリカの演劇界で最も権威ある賞で、
映画界のアカデミー賞、音楽業界のグラミー賞、
のようなものです。
ミュージカルMiss Saigon は、『蝶々夫人』の
アメリカ海軍士官と芸者の物語から換骨奪胎、
1970年代ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バー
で働くベトナム人少女キムと、アメリカ大使館の
運転手を務めるクリスの悲恋物語です。
1989年9月20日にロンドンのウエストエンド
(私の会社があった地区、劇場まで車で15分)
で初演され、
1999年10月30日、4000回以上の上演を経て閉幕。
1991年、ブロードウェイで開幕、その後ツアー。
1991年の第45回トニー賞で、
ミュージカル主演男優賞をJonathan Pryce、
ミュージカル主演女優賞を Lea Salongaが
それぞれ受賞しています。
2017-18年にブロードウェイで再演、
日本では、1992年、2012~2014年、2016年公演。
全国に“ミス・サイゴン旋風”を巻き起こしました。


30年前、1989年ロンドン初演当時、旅行会社の
マネージャーだった私の部下の一人、
Mr. Jay Ibotというフィリピン人の男性が、この
ミュージカルの端役で、出演していました。
彼は、昼間は旅行会社で働き、夜はミュージカル
に毎日出演というハードな日々。
面接した時の彼の履歴書から、覚えていることを
少し書きます。
10代の頃、フィリピンの合唱・舞踏団Song of Asiaの
メンバーに選ばれ、インド、ベトナム、ラオス、タイ、
ヨーロッパ各国、アメリカ、カナダを巡業しています。
フィラデルフィアでは名誉市民になり、サウジアラビア
では、ダンサーの傍ら、航空会社で働いていました。
何という多彩なキャリア・・・
ロンドンでは、「メイム」「ラマンチャの男」「オズの
魔法使い」などのミュージカルに出演していました。
彼は、凄いバイタリティに溢れていたと同時に、物事
をきちんと体系的にまとめあげる能力に秀でていて、
(彼には、勉強させられました)在英の旅行会社の
パッケージツアーの販売方法や会計記帳をまとめ
たり、難しいJICA研修生呼び寄せの第3か国 PTAと
いう仕事をこなしていました。
昼間は、旅行会社の仕事(ロンドン発券でアフリカ→
日本の航空券予約手配と搭乗トレース)をして、
夜はダンサーとして練習を続けていました。
マルチタレントでした、
ショービジネスで体を張りながら、サービス業の
裏方の仕事(旅行会社の内勤の仕事)もやるなんて、
凄かった。
Miss Saigonがロンドンで上演されることになった時、
彼は、そのオーディションに見事に合格しました。
Miss Saigonのロイヤル・プレミアム、オープニング
の時は、私と妻に招待状をくれました。
妻はドレス、私は普通のスーツ(仕事帰りのまま)で
ひどく場違いだったことを覚えています。
スーツ姿はプレス、カメラマンだけ。
招待客の99%がドレス、タキシード。
私と妻がロビーで話していると、イギリス人のレディ
が話しかけてきました。
「失礼ですが、Miss Saigonの関係者の方ですか?」
私たちは紛れもない東洋人です。
「いや、そういうわけではありませんが、カンパニー
のスタッフがこのミュージカルに出ていますので。」
レディは眼を大きく見開いて、驚いた様子です。
えっ、あっ、わかった、カンパニーという言葉には
会社という意味の他に、ミュージカルなどでは主役・
準主役、その他大勢の役も含めた一座というような
意味もあります。
私は、慌てて、私とジェイの関係を説明しました。
そういう思い出が、このミュージカルにはあります。
また後日、私のお客様を、何度か劇場のバルコニーの
観覧ボックス(6人程のプライベートな空間の席)に
招待(シャンペンの差し入れサービス付)した後、
ジェイに頼んで、主役の男優や女優の方と握手をして
もらうアレンジをやっていただいたこともあります。
ミュージカルの端役とはいっても、主役の方たちに
これをお願いできる、又、それをアクセプトさせる、
という彼の人間力に驚かされました。
このYoutubeの動画を見て、1989年のロンドン時代を
思い出しました。
私は90年10月末でその会社を辞め、そのまま証券会社
に転職しました。
お別れ会では、会社の方たちがお祝いしてくれました。
当時のお別れの寄せ書き。(懐かしい)↓


彼は、その後、どうしたんだろう・・・
30年前の感傷に浸ってしまいます。
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