年中旅行、時々プチ移住

私の渡り鳥生活

ペナン島に住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。
ペナン島での生活の時々に、昔の思い出が甦ります。今は、ペナン島を離れて「年中旅行、時々プチ移住」という
渡り鳥生活、プチ移住についての情報を発信しています。 キャリーケース1個、ナップザック1個の旅装です。

中国人転売ヤーの記事に思う、大昔のヨーロッパ貧乏旅行のお話(1)

今から40年以上昔のことです。
1976年頃、私は、パリ9区の屋根裏部屋を
月180フラン(当時の為替換算レートで
11,500円くらい)で借りていました。
屋根裏部屋というのは、アパルトマンの
最上階にいくつもの女中部屋が作られて
いるもので、当然、お風呂なし、トイレ
は最上階フロアに共同で一つという作り
でした。
お風呂はBains Douche Municipauxという
公共の浴場(個室で、日本の銭湯では
ありません)がパリ市内には、今でも
いくつもあり、そこを利用します。

屋根裏部屋のある最上階までのエレベーター
はありません、階段です。
ここの場合、6階くらいだったと思います。
ただ、この狭い部屋には小さなキッチンと
ベッドがあり、アパルトマン入口のブザー
マイクと話せるインターホンも付いていて、
部屋も  清潔でしたので、当時の私には
充分でした。
住所は、今でも覚えています。
5, Avenue Trudaine 75009 Paris
これが現在の写真(建物は変わっていません)↓

この界隈、ピガール地区バルべスは、当時は
物騒なところ、昔の新宿歌舞伎町のような
感じでしたが、100メートルおきに警官が
立っており、かえって安心でした。
これは、当時のイラン人の友人マジッド君
(「真実人」の漢字名を贈りました)が、
パリ5区の星なしの安ホテル(1泊15フラン:
1,000円くらい)に長期滞在していた、私の
ために、アリアンスフランセーズの掲示板
で見つけてきてくれたものです。
私は、そこをベース基地のようにして、
周辺の各国を貧乏旅行で廻っていました。
あれっ、何か、
パリにいた時と、今、ペナンにいる時と、
あまり変わっていないのか?・・・
当時は、大学のカフェや学食で過ごす毎日。
お金がなくても、同じような学生がまわりに
たくさんいて、友達には事欠きませんでした。
ワークパーミッション(労働許可証)は
ありませんでしたので、アルバイトは、
日本レストランの皿洗い、ウエイター、
旅行会社のトランスファー(空港・ホテル
間送迎のサービス案内)など、
限られていました。
ワーパミなしでは、当然、労働者側に
厳しく、日本レストランでは、最初の
3か月は無給で賄いの食事だけとか、
旅行会社では、トランスファーの
仕事を覚えるまでは無給、交通費
だけは支給、その給与がついても
それが1回30フラン(1,950円くらい)
とか、ブラックでした・・・
それでも、日本人学生はそういう
仕事に群がっていました。
私は、幸運にも、日仏文化クラブを
主宰されていたマダムソロンという
方のご好意で、時々、日本企業の
通訳のお仕事をさせてもらったりして、
それが1日300フランでしたから、
助かりました。(大感謝!)
また、彼女の紹介で、パリにいる
間は、T商会(大阪)の買付けの
お仕事を手伝うことができ、
お金が作れました。
お仕事の内容1:
アンティーク人形の買付け
当時のオルセーは美術館ではなく、
骨董品のオークション会場でした。
お仕事の内容2:
パリから日本へのブランドバッグ
の並行輸出
パリで学生のアルバイトを雇い、
ルイ・ヴィトンのバッグを買い
集めて(購入額の10%を手数料で
学生たちに支払い:元金はT商会
から送金されてきます)
日本に送ること。
これが、昨今の中国人転売ヤーの
記事から想起された私の思い出です。
40年以上前は、日本人も同じような
(?)事をやっていて、当時のフランス
人は、それをどう思っていたのか?  

当時、私にとって問題は、お店側
(ルイ・ヴィトン)が、お客の
学生アルバイトに商品をなかなか
売ってくれず、一日で、一人1個が、
せいぜいだったことでした。
それでも学生は(私も含めて)、
きつい日本レストランのもぐりの
アルバイトよりも、効率が良かった
ので、喜んでやっていました。
これは何か、現在、日本の有名店の
セールでよく見かける中国人の
アルバイトと似ていませんか?
買ったバッグは、オルリー空港で
TVA(付加価値税)の還付も受ける
ようにしました。
そうして買い集めたバッグを5個
くらいずつ、EVIANの段ボール箱に
詰めて、郵便局から、指定の大阪の
いろいろな住所に、国際郵便で
送っていました。
当時、買い付け額の3.8倍の価格を
つけても、心斎橋界隈で飛ぶように
売れたそうです。
こういったアルバイトのおかげで、
私は、貧乏旅行でしたが、南欧
(イタリア、スペイン、ギリシア)
に旅行ができました。
旅行の間は、パリの日本人の友人に
このお仕事の権利を譲って、
屋根裏部屋は他の友人に又貸し
していました。
1976年7月のお話です。
次の記事に続きます)

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