年中旅行、時々プチ移住

私の渡り鳥生活

ペナン島に住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。
ペナン島での生活の時々に、昔の思い出が甦ります。今は、ペナン島を離れて「年中旅行、時々プチ移住」という
渡り鳥生活、プチ移住についての情報を発信しています。 キャリーケース1個、ナップザック1個の旅装です。

大昔のヨーロッパ貧乏旅行のお話(2)

1976年夏のお話です。
私は、学生相手の旅行会社に行き、
(当時はインターネットはありません)
パリからブリンディッシ(イタリア半島の
長靴のかかとの部分に位置する港町、
ギリシア行きのフェリーの発着港)までの
往復(二等)・各駅停車可・2か月有効の
B.I.G.E.という鉄道切符を購入しました。
billet individuel de groupe étudiant
学生団体チケットの個人バラ売り切符?
料金はちょっと忘れてしまいましたが、
安かった。
私が途中下車していったルートは、
ジェノバ→フィレンツェ→ローマ→ナポリ→
ブリンディッシ(ここで、別途、フェリーの
切符を購入)

ピレウス→アテネ→ピレウス(フェリー)→
ブリンディッシ→ボローニャ→ヴェニス→
トリエステ→リエカ(旧ユーゴスラヴィア)→
トリエステ→パリ
この旅行は楽しかった思い出ばかりです・・・
列車移動の際の、各国の若者たちとの
他愛もない会話。
ユースホステルやペンションでは、
誰かが旅行中のエピソードをしゃべり
始めると、際限もなく、
会話は続きました。
いったい、皆、何語で話していたのだろう、
不思議に分かり合えていました。
イタリアのユースホステルでは、
イタリア人の若者にイタリア語を習って
いましたが、その時、
私は「3時間でできるイタリア語会話」
を発見してしまいました!
どういうものか、と言いますと、
イタリア語の基本的な助動詞とその活用を
覚えることです。
人称を覚えることは勿論ですが、
それに伴う述語の助動詞、これは多くない
ので、人称にともなうその活用形を
覚えてしまうのです。
大事なことは、その次に、その助動詞に
動詞の原形(フランス語、英語からの類推、
動詞の活用は覚えなくてすみます)を
くっつけて、述語を作ります。
これであれば、たくさんの動詞、その膨大な
活用形を覚えなくてすみます。
基礎的な名称の単語は必要ですが、
旅行・生活をしていると、
自然に覚えていきます。
何でも、助動詞+動詞でしゃべっていると、
奥ゆかしい感じさえします。
まだるっこしいけど・・・
スマホの翻訳アプリなど無い時代の事です。
ナポリでは、市場の中に入っていき、
(今でも市場は大好き!)、粗末なかまどで
焼いたピザを食べ(美味しい!)、カプリ島
に渡り、グロッタアズーロ(青の洞窟)にも
入りました。
後年、結婚式を挙げたロードス島の後には、
新婚旅行で、このカプリ島にも泊まり、
グロッタアズーロにも行っています。
ナポリからアマルフィ、ソレントに向かう
乗り合いバスは、断崖絶壁を縫うように走り、
極度のスリルを味わいました。
狭い道幅、カーブの続く道路、バスが道、
崖からはみ出すようになる時もあります、
それこそ、「命あっての物種」です。
ペナンで国立公園までの海岸沿いの道を
ガンガン飛ばしていくRapid Penang
(乗り合いバス)もちょっと似ていますが、
その数倍のスリルでした。
乗り合いバスの切符を買う時には、ちょっと
高いかな?とも思いましたが、バスを降りる
ときは、これこそ、命のかかったドライブ代
と思い、高くなかったと了解しました。
これは、乗客全員の共感でした・・・
ブリンディッシからピレウスへのフェリー。
出航前、切符を買う時、あれほど念を押して
いたのに、乗船してみると、私にあてがわれた
場所は、船中ではなく、甲板の上でした。
真夏とはいえ、地中海の真夜中、甲板を吹く
潮風はあくまで冷たく、凍えるような寒さを
覚えました。

甲板に集められていた安運賃の若者たちは皆、
寝袋持参で、パリから2か月の予定で旅行に
来ていた私だけが手ぶらに近い軽装でした。
船員と何度か押し問答を繰り返しても、
どうにもならず、仕方なく、暖かな船の煙突
の傍で暖を取っていました。
しかし、煙突の音はいかにも煩く、寝るどころ
ではありません。
何回目かの押し問答、交渉の後、甲板下の階の
廊下に、デッキチェアを置くことを許され、
安眠の場を得ることができました・・・
ピレウス港到着前に、イギリス人の若者が
「大変だったね、これでも食べて暖まりなよ」
と言って、缶詰を開けて分けてくれたときは、
不覚にも涙が出てしまいました。
彼は、一晩中、私に彼のセーターを貸して
くれていたのです。
アテネのユースホステルの屋上に泊まった時は、
(アテネは夏、まったく雨が降りません、屋上を
安く開放しています)全然寒くありませんでした
が、地中海の上は、陸地と違って、寒かった・・・
学生時代の貧乏旅行ではいろいろ経験しました。
リエカの島の思い出や、マドリッドのペンション
アマデオ(日本人バックパッカーの定宿)での
思い出など、心に沸き起こります。
ペナンにいる今でも、旅行に出れば、あの頃の
刺激や感動が欲しい、と思っています。
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