年中旅行、時々プチ移住

私の渡り鳥生活

ペナン島に住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。
ペナン島での生活の時々に、昔の思い出が甦ります。今は、ペナン島を離れて「年中旅行、時々プチ移住」という
渡り鳥生活、プチ移住についての情報を発信しています。 キャリーケース1個、ナップザック1個の旅装です。

世界のどこで働くか? その後、どこで暮らすか?

ペナンでは、この時間、Chinese New Yearの
けたたましい爆竹の音がしています。
ちょっと煩い、寝付かれません。

今回の記事は、私のまったく個人的な経験に
基づく、私的な意見です。
若い世代の方々は、こういうこともあった、
こういう時代があったと、ご想像ください。
サムライ職種(先生と敬称の付くような職業)、
フリーランス、その他の働き方とは別、昔の
サラリーマンの働き方です。
ヨーロッパ放浪の後、1975年秋に日本の大学
に復学した私は、いくつかの会社訪問を済ま
せ、自分の勝手な思い込みで、外国語が使えて、
しかも、外国で、早く働ける可能性のある
職場ということで、N社を選びました。
1976年春入社。
当時の世相です。↓

今から考えると、随分、安易な選択でした。
何をするか、仕事は何にするのかではなく、
ただ、単純に外国に行きたかった・・・
だけでした。
(追記)
私の会社の後輩、大学の後輩S氏が63歳の
誕生日に書いていたブログです。
私も彼も同世代、彼に似たところもある
私ですが、個性は、もちろん違います。

<以下引用>
この63年、物心ついて以来を思い返せば、
苦楽相半ばする人生だった。
というかどちらかと言えば、あまりくよくよ
悩むこともなく、我が道を歩んできたと思う。
人生の目的は何だ、みたいな深刻なことは
考えるけど、まあ、そこそこに悩み、無理
せずに、マイペースで、心地よく生きようぜ、
というのが私の人生哲学だ。
そう思って行動していたわけではなく、気が
付いたらそうだった。
好きなことをやっている限りそんなにストレス
はたまらないものだ。
正直言えば、自分は何か大きなことをやってやろう、
といった野心を持ったことがない。
そして、人の上に立つなんてリーダーシップを取る
なんて絶対いやだった。
若かりし頃、「あなた、偉くなってやろうという
野心がないでしょ」とある人に言われて
「実は、そうなんです。自分の好きな世界で
たゆたって居られればそれで自分満足なんですよ」
と答えたことを今でもはっきり覚えている。
生活のために仕事をして来た。
とは言っても、仕事はマイペースを許してくれない。
それで、それなりの苦労は避けられない。
いやなことでも、嫌と言わずやらないといけない。
サラリーマンとは気楽な稼業だった。
仕事には責任が伴うけれど、個人事業主との雲泥の差。
人間としてはあまちゃんのままだ。
仕事に取り組んでいると、もともとそれをやるために
就職したわけではないけれど、与えられた職務が面白く
なり、情熱を傾けるようになるということも学んだ。
二十歳すぎの人間で自分の将来のビジョンが見えている
ひとはそうはいない。最初に出会ったチャンス、
あるいは、門をたたいた相手が自分を受け入れて
くれれば、人は迷いつつも一歩すすむのだ。
人生にやりなおしはきかないのだから、恐ろしいことでは
あるけれど、その時点で、未来は真っ白だし、あまり思慮
することもなく、やってみっか、である。
私はそうだった。
マスコミ志望だったが、相手に振らて、メーカー、金融
(証券)、運輸の3つの業界の会社で幸い内定が取れ、
運輸の会社を選んだ。
配属先が、何と、訪日外人を扱う旅行部門。想定外。
こんな仕事があるなんて。
26年勤務して、49歳で早期退職。
遅すぎた転職だったかも知れないが、半年後に大学の
教育事務の世界にトラバーユできた。
二つの大学で合計11年、国際教育の事務支援業務に
従事して、昨年5月末に現役引退。
(中略)
敗戦後に生まれ、日本史上、おそらく、例外的に豊かな
時代に育ち、偏りはあるけれどアフリカと中南米を除く
地域は、かなり旅行(レジャーではなくほとんどが仕事
だったれど)する機会にも恵まれた。
時代が時代なら、一介の水飲み百姓で清貧な生活をして
田舎の片隅で一生を送ったかもしれない。
あるいは、一兵卒として中国大陸か東南アジナの

ジャングルか広大無辺の太平洋の海の藻屑となって
この世から去っていただろう。
(後略)

世界のどこで働くか?
一般的なサラリーマン(会社員)の場合、
日本企業で、駐在員になって、いわゆる
欧米の先進国で働くのが一番です。
(1)日本国内より給与が高い
(2)フリンジベネフィット(福利厚生)が厚い
これは業種、会社により大きな差があります。
N社(私が14年勤めた会社、物流業)と
D社(N社転職後、23年務めた会社、証券業)
の比較です。
フリンジベネフィットの例:私の現役時代
妻の出産の場合;
日本までの往復航空運賃、又は家族呼び寄せ
の往復航空運賃(D社は会社負担、N社無し)
ホームリーブ;
2年に1回、6年目からは毎年1回、日本までの
往復航空運賃会社負担(D社)3年に1回(N社)
家賃補助;
賃貸家賃の8割程度、会社負担。(D社、N社)
これは社員の等級により上限家賃の設定あり、
N社の場合は、上限家賃が低く、良い物件は
借りれません。
転職後、D社の駐在員総務課で研修していた時
にわかったことですが、私がロンドンで借りて
いたフラットの家賃が、D社の単身の研修生の
フラットの家賃と同程度でした。
驚きました。
日本の新聞購読;
駐在員に1部ずつ会社負担(D社)
会社に1部会社負担(N社)
日本の雑誌購読;
駐在員の家族の人数分、月刊誌送料D社負担。
N社は無し。
やはり、旅行会社(物流業の一部門)と
証券会社では、同じ駐在員でもずいぶん
待遇が違うんだな、と思いました。
ただ、ローカル採用(現地採用)の場合、
これがありません。
給与にしても、本社派遣の駐在員とローカル
採用(現地採用)社員の給与の差は歴然です。
今の正社員とハケン社員の違いでしょうか・・
私が海外で働いていた時に、感じたことです。
日系の海外現地法人の場合、本社の意向を
うかがう、というか、本社の都合で事が
進められることが多いです。
ローカル採用の社員は、さじきの外です。
あるいは、部分、部分についてのみ、脈絡も
なく、意見を求められるだけです。
日本人のローカル採用の社員の場合、この
事情が痛切にわかってしまうので、辛いです。
ローカル採用日本人が、どんなに素晴らしい
仕事をしても、もともとの給与のベースが
違うため、給与が上がったとしても、本社
派遣の駐在員には及びません。
これでは、勤労意欲もほどほどになって
しまいます。
それを見て、心無い駐在員は仲間内で陰口を
言うことがあります。
「海外が長いとこれだから、もうここの人間
と同じですよ。外人ですよ。」
ロンドン駐在時代、私の部下だったローカル
採用の優秀な若いO君(日本人)がよく言って
いました。
「仕事がたくさんあっても、苦しいとは思い
ません。どんなに問題があっても、時間が
かかっても、一所懸命にやります。いくらでも
やりますけど、残念なのは、辛いのは、見返り
が無いことです。」
まったくです。
同感だけど、私が当時、働いていた会社、
旅行業の会社は、利益が少なかった・・・
その頃は、インターネット以前の時代です。
旅行業で利益を出すには、
セールスで新規顧客を増やさなければならない
のが第一ですが、顧客が増えれば、顧客確保の
ため、後の予約発券、旅行手配、経理処理、
その他の仕事が急速に増えていきます、
それをこなす内勤スタッフを増やさないと
いけません。
この人件費を抑えるためもあって、ローカル
採用、アルバイトとか、パートの人を雇って
いました。
英人、香港人は勿論の事、日本人、インド人、
フィリピン人、エジプト人など、その国籍も
多岐にわたっていました。
ローカル採用の方にタイトル、ポストを与え
ても、日系の会社では、駐在員がその上位に
位置します。
O君のような、一所懸命に仕事をして、成果
を挙げ、顧客から抜群の信頼感を勝ち取れる
ような人なら、絶対、駐在員で来て
マネージャーになるべきなのです。
彼は、私が90年終りに会社を辞めた後、
ローカル採用で初めて、マネージャーになり
ましたが、ほどなく、本社から駐在員が来て、
その人のタイトルは次長、マネージャーの
O君の上でした。
そのO君も後年、その会社を辞め、駐在員と
して転職、日系商社のロンドンのマネージャー
になったと聞いて、嬉しく思いました。
(3)老後、日本の年金とは別に、その国から
年金が出る可能性があるダメなときもあり)、



からです。
その後、どこで暮らすか
これは、ペナンです。
他に良いところがあれば、教えてください。
今も探しています。
今回の記事は、
日本式年金が迎える悲惨な結末?マレーシアやシンガポールは?

というブログ記事に触発されて書いてみました。
Kosukeさんに感謝!!です。
(以下、引用です)
マレーシアの柔軟な年金制度「EPF」とは
ここで、マレーシアやシンガポールの年金制度を
紹介します。
マレーシアでは「EPF」、シンガポールでは
「CPF」と呼ばれる年金制度は、方式で言えば
「積立方式」です。
自分と企業で半分ずつくらい積み立てる、日本の
厚生年金のような感じです。
さらに、運用益もプラスされ、マレーシアの
EPFだと大体年率6~7%ほどもあります。
マレーシアの銀行定期預金の利率よりも大幅に高率
です。
しかも複利なので、15年も積み立てていれば、
元本の2倍近くには膨らんでいることでしょう。
(中略)
EPFというものはまさに資産・投資商品のような
存在です。
マレーシア企業で働く外国人でも加入でき、帰国時
には全額受け取ることが出来ます。


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