年中旅行、時々プチ移住

私の渡り鳥生活

ペナン島に住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。
ペナン島での生活の時々に、昔の思い出が甦ります。今は、ペナン島を離れて「年中旅行、時々プチ移住」という
渡り鳥生活、プチ移住についての情報を発信しています。 キャリーケース1個、ナップザック1個の旅装です。

私の外国語との出会いから現在まで

「私は英語はダメです・・・」というコメントを
ブログにいただきましたが、
心配ありません、外国語を喋るのは、相手と心を
通わせることができれば、良いのです。

一番の外国語マスター方法は、外国で、半年
くらい、外国語で生活することだと思っています。
読み書きは、自分で勉強できますが、会話は、
ちょっと違います。
私の外国語との出会いを書きます。
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大昔になります。
私が、まだ、北九州の中学生の頃です。
当時の北九州市といったら、ちょっと
田舎で・・・
外国の水兵さん(寄港していた船から
下船してきたのでしょう、水兵服のまま)に
サインを貰っている子供がいたりしました。

九州と一括りにすると何ですが、そこは
封建的なところで、喫茶店に行こうもの
なら、不良だ、とか・・・
そういう時代、そういった地方の話です。
修学旅行の時、列車に乗るのに小倉駅の
ホームにいた時の事です。
中学校の英会話クラブにいた友人が、
ホームにいた外国の人と、
中学生仲間に見せつけるように、
得意そうに喋っているのをみて、
「凄ーい、カッコイイ。」
と思ったのが、私の外国語に対する、
初めての印象でした。
中学で英語が学科にあるといっても、
喋るのは、別物です。
私の見解ですけど・・・
中学、高校と学年が進むにつれ、人よりは、
学校の勉強ができていた私は、英語も
得意科目でしたが、英語で話すのはダメ。
ただ、読み書きはよくできました。
大学は東京外国語大学というところに進学、
専攻はフランス語学科にしました。
英語は競争相手が多すぎるので、それ以外で、
将来、語学で身を立てるなら、と思って、
メジャーな語学科の中からフランス語を
選びました。
「シェルブールの雨傘」という映画や、

Michel Legrand - Les Parapluies De Cherbourg 1964
マリー・ラフォレといった映画女優

Plein Soleil.avi
好きだったこともあります。
大学で、イチから外国語を勉強するのですから、
子供が、中学校から英語を学び始めるような
ものです。
ただ、この時、今まで英語をどういう風に
勉強したか、
どういう風にイチから外国語を学べば良いか
という方法論のようなものは、それまで
身に着けていました。
当時、メジャーな語学科はフランス語の他、
ドイツ語、スペイン語、ロシア語でした。
今なら、中国語でしょうが・・・
それで、フランス語を学習していったのですが、
大学生活は、親元を離れて、自由でした、
封建的な九州と違い、東京は楽しい、素敵な
ところでした。
フランス語のガリ勉(語学習得は最初が肝心)
は、2年生の終り頃にはやめ、3年生からは、
アルバイトに明け暮れ、ヨーロッパに旅立ち
ました。
初めて、外国に行きました。
最初に到着したヒースロー空港の入管の
係官の話す英語が聞き取れませんでした。
第1のショックでした。
今まで、何年、勉強してきた?
何日かロンドンの安宿で過ごし、ドーバー
海峡をフェリーで渡り、列車でフランスに。
ここでもフランス人の話すフランス語が
よく聞き取れません。
第2のショックでした。
今まで、何を、勉強してきた?
私の話すフランス語は、相手はわかるようです。
外国人の話す日本語がたどたどしくても、
それが母国語の日本人には意味がわかる
ようなものです。
それからは、カルチェラタンの安宿に潜り
込んで、近くの大学で学生たちと会話を
交わし、遊びながら、必死に、フランス語を
覚えていきました。


3か月後、突然でした、相手の話すフランス
語が
奇跡的に、わかるようになりました。
対面の会話では、相手の表情や仕草に
助けられます。
まだ、この段階では、電話での会話は、
難しかったことを覚えています。
相手の表情・仕草がありませんので。
ただ、この時の電話は用件があって、
相手と
話しているので、何について会話
しているか、
お互いの理解がありますから、
考えれば、
楽な方です。
後年、パリで仕事をしたときは、会社に
かかってくるフランス人との電話では、
何の用件か把握するのが一番大事でした。
一方的に話し始める、要領の悪いフランス
人がたまにいましたので・・・
学生時代に、パリで様々な、沢山の経験を
積んで、フランス語と英語は話せるように
なりました。

日本に帰国、大学に復学して、読み書きを
勉強、卒業しました。
フランス語を使えて、海外に出るチャンス
ある会社を選んで、入社。
この頃、アテネフランセの商業フランス語
講座にも通っています。
物流会社の一部門の外国人の訪日旅行を
取り扱う旅行会社で、フランス語と英語の
コレポン、海外セールス、パリ研修、
ロンドン現法駐在などで、ビジネスの
フランス語、英語を学びました。
転職した証券会社では、パリ駐在、
オーストラリア駐在で、実務のフランス語と
英語が勉強できました。
全ては、中学生の頃、友人が外国人と英語で
喋っているのを見て、「凄ーい、カッコイイ。」
と思ったことに始まりました。
繰り返しになりますが、フランス語にしても、
英語にしても、
読み書きと会話は別物です。
一番簡単な外国語マスター方法は、外国で、
半年くらいは、外国語で生活することだと
思っています。
読み書きは、自分で勉強できますが、
会話は、ちょっと違います。
アナログ世代の私の感想です。
大好きな、アラン・ドロンとダリダのパローレです。↓


Dalida & Alain Delon - Paroles, paroles
甘いささやき(中村晃子 細川俊之):日本語バージョン
(追記)
この曲、改めて聴いてみると、細川俊之の甘い声が素敵で
痺れました・・・アラン・ドロンのフランス語より凄い!
是非、聴いてみて下さい。
私のフランス人の友達が、日本のテレビCMのアテレコ
の際、
広告代理店の人に「もっと、甘く喋って・・・」
何度も言われていたのが、納得です。
ストレイキーと南仏の思い出 - mimirubyのブログ
日本のこんな美声の人と比べられては・・・

甘いささやき (中村晃子 細川俊之) 昭和48年
私は、インターネット以前、小田実の
「何でもみてやろう」(初版1961)に始まり、
五木寛之の「モスクワ愚連隊」の小説(1967)に
感化されて、異国に貧乏旅行に旅立った
世代です。
(沢木耕太郎の「深夜特急」1986のだいぶん前)

今は、昔の人生のツケを払っているような
生活ですが、まだ僅かに残っている冒険心
だけは、大事にして、残りの人生を楽しもう、
と思っています。
お楽しみはこれからです。
Today is the first day of the rest of your life.


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